希望は持っとけ 10歳を過ぎた君に

男の子が知りたくても誰も教えてくれない事、未来から過去の自分自身とこれを読んでくれるあなたへ

勉強は、ほどほどに頑張っておけば、良いんだよ

コレを書いているのが9月のとある土曜日。

つまり、普通の公立小学校で言えば2学期が始まって、かなりだるくなっているはずの日だ。

10歳ぐらいだった私自身に、もし伝えるなら、まずはコレ。

 

勉強は、頑張り過ぎなくて、よろしい

 

やらなくて良い、とは言っていません。

そこは、今よりもう少し頑張ってやってくれ!としか言えません。

 

今すぐにでも宿題をサボりたい気分の小学生・中学生のみんな、

残念だったねぇ。ゴメン。

 

でも、イジワルでそんな事を言ってるワケじゃないんだ。

勉強は少しでも出来た方が良いんだけど、理由があるからなんだよね。

 

なので「学校には何をしに来ているんだ」と

「勉強は何のためにする必要があるの?」と言う質問に、

私自身がちゃーんと答えられなかった悔しい経験から、まずはこの記事を書くことにしました。

 

学校には状況の把握のために来ています byバシ君

小学校のクラスメイトに、バシ君って子が居ました。

どちらかと言えばガリ勉タイプで、テストでは毎回1位。

 

バシ君がクラス1位じゃないとしたら、風邪をひいて本調子じゃない時ぐらい。

でも、バシ君がものすごく努力家で、真剣に勉強してるのを僕も良く見ていたし、知っていた。

逆立ちしてもバシ君に勉強で勝つことは出来そうに無いなぁ・・・って思っていたし、バシ君の「テストで100点を取らないとお父さんお母さんに怒られる」って言う状況と覚悟(かくご=心に決めた思い)は本当にピリピリしていた。

とても小学校3年生とか4年生ではない雰囲気(ふんいき=オーラ)だったし、あきらかに異常(いじょう=ぜんぜんちがっている)だった。

 

バシ君は努力しないクラスメイトにキツイ事を言っていて、チビまる子ちゃんで言う丸尾君よりは永沢君みたいなタイプだったけど、僕たちが知らないことを先に調べてくれるから、とっても頼りになった。

そんなバシ君は勉強以外のことに時間を取られる事を嫌っていて、ケンカになりそうな言葉遣いで「バカは今よりもっと勉強しろ」ってよく言ってたけど、僕たちはそれで喧嘩する事はまずなかった。

それだけクラスメイトのみんなは、バシ君の努力する姿勢を心の中で尊敬するぐらいに理解していたし、バシ君の時間を無駄にする事がどれだけバシ君の辛い表情を作ってしまう原因になってしまうのかも、よーく分かっていた。

 

だから下校前の掃除当番とか、給食当番とかはやるけどそれもサボりたい(サボタージュしたい=意味はお父さんに聞いてみなさい)モード全開で臨む(のぞむ=ものごとに取り組む)から、一部の女子からはバシ君の評判は事実悪かった。

 

ただ、バシ君はそんな女子達からも尊敬されるようになった代わりに、女子達の「当番をサボる」って言う評判も覆す(くつがえす=それまでとちがう結果になる)ようになった。

そのきっかけが「学校には状況の把握のために来ています」と言う決め台詞(きめぜりふ=力のある言葉)だった。

 

当時の担任だったフネ先生と言う熱血先生は、授業中に全力で取り組まない生徒には容赦(ようしゃ=甘くてゆるす)をしない先生だった。

さすがのバシ君もたじろいだり、おじけづいてしまう場面があるほど、フネ先生はスパルタな先生だった。

 

そのフネ先生が、ある日算数の宿題を忘れた女子を叱っていた。

なんで宿題をやってこなかったのか?って。

フネ先生は熱血でスパルタだけど、児童である僕たちの「今はこれが良く分からないんだけど、ちゃんと知って役に立てたいっ!」って言う考えをとても尊重してくれた。

その女子たちは「どうやればいいのか分からなくて、出来なかった」と言う感じだった。

ちょっと泣きそうになっていたけど、確かにむずかしい宿題だったと思う。

 

そこでちょっと驚いた事があった。

なんと、バシ君が宿題を完全には終わらせてなかった。

教室がザワついた。

 

みんな、「え?」「ウソ?」みたいな感じだったけど、バシ君はサボるとかそう言う理由で宿題が出来なかった訳ではなかった。

勿論体調が悪い訳でもなければ、お父さんやお母さんの手伝いで宿題をやっているひまが無い!なんて事でもなかった。

バシ君のお兄さんに、バシ君は宿題が分からなくなって教えてもらおうと思ったそうだが、その宿題で途中まで書かれた計算式を見て、お兄さんはそっと

 

明日学校に言って、ここまでしか出来なかったと正直に言ってきなさい。

先生は怒るかもしれないけど、ここで分からないまま止めておくのが大切だ。

明日は、起こられてきなさい。 

 

と、バシ君は言われたそう。

宿題が終わらなかった事で、かなり落ち込んだみたいだ。

 

登校した私がすぐにバシ君に駆け寄るぐらい、とんでもなく暗い表情をしてて心配になったのを今でも昨日のように思い出す。

『Takoちゃん、算数の宿題終わった?』って聞いて来る声も弱々しい。

私は分からないなりにやって間違っている宿題を持っていたが、正直むずかしすぎて分からないと言う状況だった。

「やったけど、間違ってるかもしれないなぁ」

 

私も姉にこれを解いてもらおうかと思ったが、姉が中学校の部活を終えてグッタリしている状況ではさすがに酷(こく)なので、もうこればっかりは宿題がゼロ点でもいいやと開き直って登校したのである。

フネ先生に怒られるのか・・・

 

でも、前日談としてフネ先生は笑顔で

 

 途中まででもいい。だから、自力で挑戦してみろ

 

そうして宿題がちゃんと分からなかったクラスメイトが大多数居る事態になった。

まだインターネットも無ければ、スマホもない時代。

答えがあるとすれば近所の図書館に行くか、せめて兄姉が居れば・・・ぐらいなものだったけど、そう言う家庭ばかりでもなかった。クラスの1/3以上は一人っ子だったし。

 

それまで何が何でも答えを出してきていたバシ君を含めて、誰ひとり算数の宿題を正しく解いている児童はいなかった。

つまり、皆間違えていたのだ。

 

まぁ、皆でフネ先生の授業をちゃんと理解していなかったので、皆で叱られてからもう一度学びなおす事になったんだけど、

そこでフネ先生も疑問に思ってバシ君に聞いた。

 

 ・・・なぁ、バシはお兄さんとかに、何か聞かなかったのか?

 

するとバシ君は、お兄さんの言葉を引用して

『いえ、兄からは なぜ出来なかったのか。

その原因を間違えずに理解する時だ。

学校には現状の状況の把握をしに行っているのだから。

・・・と言われました』と、肩を震わせながらフネ先生に答えた。

 

あの、バシ君の悔しそうな表情、今でも忘れられない。

大粒の涙が、バシ君のメガネからこぼれ落ちるのも・・・

 

バシ君のお兄さんは地域の進学塾でも話題になるような勉強の出来る人だったので、そのセリフを聞ける私たちは幸せ者だった。

それはフネ先生も同じ見解(けんかい=その人の考え)だったので、フネ先生は少し考えてから問題の間違えやすい部分で間違えないように、繰り返し繰り返し、全員が分かるまで教えてくれる事になった。

 

こうして皆そろって難しい問題を解けるようになったのもあり、色々と叱られたりもしたが、バシ君のおかげで勉強が出来る事出来ない子も

 

 学校には状況の把握をしに行っている

 

と言う考え方が出来上がった。

今どこまで出来ているのか、何が出来ていないのか、

出来るようにするためには何が知りたいのか、

そう言ったことを確認することが、今まで以上に勉強が楽しいと言う雰囲気作りをしてくれたのである。

あの時の4年1組は、目的のない生徒が目的に向かって進みだす・・・

そんなエネルギーに満ち溢れたクラスだった。

 

だから4年生から5年生に上がる時、クラスに一人だけ居た邪魔者と縁が切れること以外は、本当に皆と離れたくなかった。

(結果として5・6年のクラスはとても良かったんだけどね) 

 

バシ君は当番をサボると言う悪評があったが、その女子達からしてみると「何もしてくれない」と言う間違った認識(にんしき=そう思っていること)があっただけ。

実際のバシ君は当番に参加する時間が遅かっただけで、それまで熱心にノートをまとめていたりしてただけだった。

だからバシ君がちゃんと当番には参加している事を、一部の女子には正しく認識してもらうと同時に、バシ君のまとめたノートや知識をその女子達に優先的に教えると言うことを、学級会を含めてローカルルールで決めることにした。

 

結果としてバシ君はノートを取りまとめる事が上手くなって、当番に遅刻してしまう事が少なくなった。

それから、悪評を立てていた一部の女子とは仲良くなって、

 

あれ?

いつの間にかバレンタインにチョコわたしてんじゃんか!

って事になってた。

なーんだよ、あの二人!(笑)

 

それまで3年生の時は「学校に給食を食べに来てます」なんて平気で言うようなクラスだったし、話の面白いホンダ先生の温かい指導方針に、思いやりの心をすくすくと育ててもらったけど、フネ先生は真逆のスパルタだった。

「今の状況を把握する」と言うテーマを持ってから、皆が自分勝手な発言や枠(わく)を徐々に捨てる事ができたって経験は大きかった。

 

つまり一人で学習していて、勉強が出来ていないとしても

 そこまで落ち込まなくて良いんだよ

と言いたいし、仲間が居ると勉強がスイスイ進む事もよくあるって事がある。

 

その時に無理ってあまりしていないんだよね。

 

 

さて、その次の話もしておかなきゃね。

勉強は無理してするもんじゃないんだけどって話になると、次は・・・高校時代のお話。良い先生に会えると言うのも、高校を選ぶ時のポイントにしてみてほしいぞー。

 

勉強とは道具なんだぞ byごとー

今度は小学校から一回飛んで、高校時代のお話。

当時、「ごとー先生」が国語を担当してくれていた。

 

授業自体はそこまで難しくなかったんだけど、難しくないことをなかなか上手に理解できないおバカな生徒もたくさん居て、その生徒に対する教え方が面白かったんだよね。

 

具体的にはわざと、テストの点数が低いか普通ぐらいの生徒を巻き込んで、みんなが分かっているのを確認するのが上手かった。

そのためには、答えられそうな簡単な質問を挙手で答えさせる。

そこそこテストの成績を稼げる私や、クラスの上位の生徒が分かっていても、挙手をするんだけどまず指されることは無かった。

その代わり、ヒントを与えて答えさせるのを、あえてムードメーカーの生徒にやらせるために差す。

 

自分で「分かった!」ってなるまで考えさせてから、答えさせる。

時々生徒がトチる(間違える)のは織り込み済みで、とにかくクラス全体でおちこぼれが出ないように、楽しませながら考えさせる&全員が参加している空気を出すと言う、なかなか高等技術だったものだ。

 

たまーに難しい質問が来る時もある。

そう言う時は私とかを含めて、国語で85点とか90点を取るような生徒を一人ひとり指してくるんだけど、これがまた絶妙な匙加減を見せてくれた。

当時、僕を含めて国語で満点に近い点を取る5人は見た目も個性も、考え方も全然バラバラだった。

学年1位と4位は物静かな秀才タイプ、口数はあまり多くない。明るい性格だったけどね。

学年2位は落ち着いた天才肌、とにかく直感が鋭い。

学年3位は努力型の天才、上手くなっていく家庭がとても綿密。

学年5位を争っていたのが容量良くて騒がしくいチャランポランだった私と、

劣等感の塊だったイケメンのコーちゃん。

 

だから、誰にどの順番で聞くのか、ごとー先生は良く考えてた。

 

で、優等生タイプで締める事もあれば、僕のような「かなりチャランポランに授業受けてるけどテストでは点数を取って理解もしている」タイプで締める事もある。

そこでクラス全体の落ちこぼれを出さないように、難しい質問にはお手上げで思考が停止しているクラスメイトにどう理解させるのか。

どんな風に考えることが正解に近づけるのか。そのイメージを共有させたかったんだろうね。

ここについては、ごとー先生はとにかく「ムードメーカーが理解出来ているのか」をちゃんと見逃さなかった。

だから私は先生に向かって回答するよりも、意図を汲んでムードメーカーのどこが分からないかを確認することもしばしばだった。

「ごとー先生、ここをもう一度みんなのために解説して下さい。私も知りたいんで」

『そうか。Takoにそう言われたんじゃ俺ももう一回やるよ』

 

授業中に手を上げたり差されて答えると、閻魔帳(えんまちょう=先生が仕事で使うノートで、点数を足したり引いたり出来る)にプラス何点みたいなボーナスが逐一(ちくいち=即効で、いちいち)加算されていたんだけど、

高校時代はそれがバカにならないプラス要素だったので皆「我先に!」と奪い合って取っていった。

しかしそうは言っても、テストを含めた差があまり出来ないような授業内容(つまり皆が100点取れちゃうような簡単なモノ)だったので、差別化をつけるとしたら

 

 落ちこぼれを出さないようにする

 

と言う軸に如何に貢献できるかを競わせたのだ。

ごとー先生、恐るべし。

そしてムードメーカーが、成績上位者の助けもあって難しい質問を

「あ。それって、こう言うこと?」

と理解し、教室中が拍手と安堵に包まれて終わると言う、競争しているんだか助け合ってるんだか、良く分からない授業がなかなか面白かった。

 

 こう言う風に解くんだぞ、

 こう言う風に考えていくんだぞ、

 ここを誤解しないように憶えるんだぞ

 

更に付け加えて

 理解度を更に深めよう

と言うスタンス(=姿勢のこと)。

 

いずれにしても口癖のように「勉強は一種の道具、道具なんだぞ。だからどう使うかなんだ」と叩き込まれるのである。

 

分からなかった生徒が分かるようになるのも道具の使い方。

既に理解した生徒が、頭の中で咀嚼(そしゃく=噛み砕いて分かりやすくする)して説明しやすくしておくのも、道具の使い方。

閻魔帳にポイントを加算するのも、道具の使い方。

 

でも、そのおかげでクラスメイトの無意味なケンカはほとんど無かったし、

いじめは軽微(けいび=ちょっとしたこと、わずかなこと)なものはあったにしても、恐喝(きょうかつ=他人の財産を奪い取るために恐怖感を与える)とかは、なかったワケ。

誰かが誰かの役に立っていると言う認識(にんしき=イメージ)を作り上げ、ちょっと難しめのテストにもクラス全員で赤点(あかてん=40点未満、39点以下のこと)を回避して結果を出すと言う、

スーパー国語教師・ごとー先生のスゴ技を体感するのでした。

 

 

ちなみにそんな完全無欠と思える「ごとー先生」にも弱点が3つあって、ひとつは熱狂的巨人ファンで、巨人が負けた翌日は採点が渋い。

困り果てるぐらい閻魔帳の加点が渋くて、当時強かったヤクルトファンとか横浜ファンが多いクラスなのに、巨人が勝ったらひと安心してしまうと言う、ヘンテコな現象が起きてしまうのがなかなか一筋縄(ひとすじなわ=一本調子、すんなりと行く様子)ではいかなかったところ。

 

二つ目は若くしておでこが広かったこと。

つまりハ●まっしぐらだった。まぁ、弱点と言うよりも勿体無かった感じ。

 

そしてなにより三つ目は、結構武道家な印象もある先生(剣道部の顧問)だったのに生徒が所用で、ごとー先生のお宅へ電話連絡した際に起きた伝説。

ごとー先生のお母様がお電話に出られたので、取り次いでもらったのだが

「○○ちゃん、電話よー」

「はーい、ママー」

と受け答えしたのがモロに聞こえてしまい、生徒から生徒へ伝言ゲームで瞬く間に拡がってしまったことである。

 

年を追うごとに後退する生え際と、マザコン疑惑が拭えないまま彼女が出来ないと言う完全無欠な「ごとー先生」

高1ぐらいまでは

「あー、俺も彼女が欲しいぜ」

なんてジョークも授業中に軽ーく飛ばしたのに、高3で臨時に授業を持ってもらった時は

「・・・はぁ、俺はもう結婚も諦めたよ・・・」

なんて弱音を吐いてしまっていたのが運のツキ。

先程の電話をした生徒を含め何名かがお母様の真似をして

 

「そんな事言っちゃダメよー、○○ちゃーん」

 (野太い声数名)○○ちゃーん(^0^)/

「また、お見合いしましょうよー、○○ちゃーん」

 (野太い声数名)○○ちゃーん(^0^)/

 

・・・って先生をチャン付けで呼んでイジるのなんの。

失敗したお見合いの話も約2年ぶりに蒸しかえすんかい!(笑)

恩を仇で返すような、男子高あるある。

 

先生はまるで友人か何かみたいな存在になってしまうもんですけど、敬意あればこそ?の愛のあるイジりが、生徒と教師の信頼関係を感じさせる瞬間でした。

 

 

結論:勉強はほどほどに頑張っておけば良いんだよ

・・・とまぁ、大きな二大エピソードを掲載いたしましたが、

勉強は頑張りすぎなくて大丈夫。

もし寝る間も惜しんで頑張って勉強するなら、進学する高校や大学に誇りを持つ目的ぐらいしかないでしょう。

でもね、学校には給食を喰いに行くだけじゃ、もったいないよって事ですね。

 

それよりも楽しんで授業を受けて、参加すること。

出来れば参画(さんかく=参加しながら提案して進めていくこと)が出来るようになれば良いんだけど、

最初は少しでも内容を理解して、ドンドン質問しながら学んでいければ良いだけなんです。

 

点数は低いよりは高い方がいいけど、それは楽しんで授業に参加していれば自然についてくることだったりする。

勝手に自分本意(じぶんほんい=あまりにも自分勝手な様子)であきらめて、授業を聴かないなんてしなければ、理解する能力はすこしずつでも成長していきます。

 

細かいところはまたお話しするけど、今、どこが分からないのか。

そこをハッキリさせるために学校に行こう。

 

そして、あまりにも酷い同級生が居たら、逃げて良い。

イジめられに登校しに行っているんじゃないんだからね。

もしも勉強していて分からないところは、学校ではないところでももう一度挑戦してみよう。分かっている人から教えてもらいながら、上手く補っていこう。

 

 

boys be aspiration

少年よ、希望は持っとけ

その通りの未来がやってくるから