希望は持っとけ 10歳を過ぎた君に

男の子が知りたくても誰も教えてくれない事、未来から過去の自分自身とこれを読んでくれるあなたへ

著者プロフィール

ハンドルネーム:Takowasabi

 

出生地:東京都文京区

出身地:東京都豊島区

    東京都板橋区

    埼玉県戸田市→その後、上場企業の技術系部門に就職

 

最終学歴:私立高校卒業

 

大まかな経歴:

保育園時代→親が迎えに来てくれるのが遅く、ほとんど一人で遊んでました。

たまに仲の良い友達と園内で遊んだりしましたが、他人に遠慮しなきゃいけないのが苦痛で、周りからゴマをすられるのが当たり前だと思ってました。

よく言えばガキ大将みたいなポジションが大好きでした。

毎日のように・・・では無かったですけど、女の子から求められていっぱいチュッチュ、チュッチュとキスしてました。

今思うとなんでなのかは分かりませんが、そう言う空気を掴むのが上手かったんでしょうね。両親が毎日していたからそれが当然みたいなのも大きかったのかなぁと。

お遊戯が上手い方ではありませんでしたが、少しでも上手にやろうとはしてました。

歌は大きな声で歌うのが疲れるので、音程を合わせたいなーと考えて歌ってました。

運動が下手だったので球技の時間は苦痛でした。そのくせ走るとクラスでもかなり早かったのは未だに不思議です。

この頃から体温は36度を超えませんでしたし、今でも平熱は低いままなんです。

マイコプラズマ肺炎などでちょくちょく入院していましたが、病気で苦しかった痛かったと言う記憶はほとんどありません。

 

小学校時代→同じ保育園の子がほとんど居ませんでした。だから最初は誰とも遊ばず、担任の先生を心配させました。

勉強は好きでも嫌いでもありませんでしたし、飛び抜けて上でも下でもありませんでした。ただ、家にあった百科辞典は読みまくって、暗記してるんじゃないかって思うこともありました。

保育園の頃に比べたらモテエネルギーは減りましたが、バレンタインにチョコをもらうことはありました。貰いたくない相手からもらってしまい、困ったのと悔しいのが入り交ざって泣いたりもしてました。

と言うか、とにかく泣き虫でしたね。

このまま泣き虫が治らないんじゃないかと思うほど、良く泣いてました。反動でそのあとなかなか悲しくても涙が出なくなる時期を迎えるのですがね。

運動は苦手でしたし、自転車に乗れるようになったのが小学校2年の時。

水泳で15m泳げるようになったのが、小学校5年生の時。

跳び箱の6段が飛べるようになったのもようやく小学校6年生の時。それなのに走るのが速いというのは変わらず。

それで得した事も若干ありましたが、足を更に早くしようと言う気持ちはこの頃から「どうでも良い」と言う割りきりがありました。

運動するクラブ活動よりも、興味があったことがいっぱいあったので、それが良くも悪くも作用したと考えてます。だから、スポーツが出来ない男子は何も落ち込まなくていいよと言いたいのです。

好きになったら好きなまま楽しめばいいだけなんですし。

一応学級委員を1期(半年)、委員会の委員長も1期(半年)務めました。

 

中学校時代→三つ上の姉と入れ替わるように中学校に入ったら、姉の担任が私の担任になると言う見事なスライドのおかげで、何にしてもスタートそのものは大変ではありませんでした。

むしろなりたい職業に付くためには希望の高校に進学すると言う既定路線が出来上がっていたため、それまでにどうするの?を毎日のように考えてました。

逆算して如何に楽して効率よく内申を獲るのか。

もう、姑息なぐらいに上手かったですね。

同じ小学校出身の子が3割ぐらい居たので友達づきあいは楽でしたが、違う小学校出身の子達が色々とキャラクターが濃くて、良くも悪くもカルチャーショックが大きかったなと思います。

部活では部長、委員会では委員長もしていましたし、行事の実行委員も兼ねていたので、それはもう幅広く活躍していました。

校内で「文化祭の司会の人」ぐらいの認識はありました。

私の事を知らない人間を探す方が難しいぐらいで、後輩からは「Tako先輩おはようございます!1年のフロアに何か御用ですか?」ぐらい、確実に挨拶をされるようになってました。

勉強は恋の病で伸び悩みましたが、恋の病から吹っ切れたあとは・・・、まぁ可でもなく不可でもなく。

希望の高校に推薦で進学できる程度までには回復させましたが、姉に比べたら全然勉強して居ないので、前述の担任からは「おかしい、こんな成績のはずが無い」「もっと上を目指せと」と、結局卒業するまでよく言われてました。

この頃は学習塾には行かなかったですね。中学校の裏手が実家のマンションだったので、土日ならまだしも遠くに出かけることへの興味も無かったですし。

そんな姉は上位15~20%には確実に入っていましたから、比較して丁度真ん中付近でうろついているのが不思議でしょうがないと。

(単発の小テストでは相当上の順位をとっているのに、本番のテストで全然奮わないとか、もう何やってんだろうって言うレベルでした。)

でも、その原因がアウトプットを怠って頭の中が整理できていない&理解が間違っていただけと、先生方も気が付いていたみたいでしたね。

最後の学年末試験では姉と同じぐらいの順位にしておきました。さすがに推薦合格取り消しは免れたかったですし。

行動範囲が広がり、出掛ける時には目的を更に極めるようになりました。そんな中、楽しそうに輝いてる大人たちに引かれてあるサークルに入る事になるのですが、それはまた追々。

遊びと勉強の両立を求められる領域になるとは思っても見なかったので、当初の計画は完遂しましたが唯一の計算違いは「思っていた以上に遊びが面白くなってしまった」ことでしょうか。

 

高校時代→都内にある男子校に入ります。共学でも良かったんですが、就職したいと考える私には過不足の無い環境でした。

サークル優先のため部活には入らず。唯一入部を考えた部活はあったんですが、その部活を仕切っている先輩があまりにもアホと言うか、校内に1500人居た生徒の1300人ぐらいからブーイングをもらうような発言をする方だったので、さすがに諦めました。

あんたとはやってられんわ、私はそこまで暇じゃないし。

この高校の推薦試験は見事なペーパーレス。つまり、何か問題を解いたと言う試験ではありませんでした。

かなりお馬鹿な高校の、しかも普通科では無いマニアックな科だったので、マニア&オタクとそうでは無い子が混じるというカオスなクラスでした。

どれぐらいカオスかと言うと、読んでるものがとにかくオカシイ。

休み時間に皆趣味の雑誌を読んでいるんですけど、バス・飛行機・電車は勿論、スポーツ雑誌も華やか。

更に競馬新聞読んで赤ペン加えてる友達も居れば、ファッション雑誌読んで髪を茶髪にしている子も居たりと、まぁ・・・とにかく学校よりも学校が終わった後の事を考える人が多かったです。私もその一人ですが。

とにかく「リーダーシップとは何か」を考える3年間でした。兄弟親戚を含めても末っ子なのに、長男の要素を突き詰めるとはコレ如何に。

何にしてもお馬鹿な生徒にモノを教えるのが上手い先生が数名居たのが救い。おかげで商業簿記の3級は級友のほぼ全員が難なく合格できましたし、商業系の検定にチョコチョコ合格できたのは大きかったです。

ちなみに商業科もあった(私の姉も商業高校の商業科卒です)のですが、マニアックな私たちの課の方が、商業検定の合格実績が段違いと言う結果に。今母校に商業科はありません、そりゃ仕方が無いか。

委員会活動はちょっとだけやりました。

アルバイトは学校の紹介でやったものと、地元の郵便局で年賀状配達を行ってました。

郵便局は完全に姉と同じコースですね。バイトが結構楽しかったと良い話しか聞かなかったんですが、確かに外の配達と中の仕分けはそれぞれ面白かったですし、中の仕事向きなんだなとその時良く分かりました。

遊ぶ金&サークル活動をする上で必要な資金はある程度確保したいのもあり、時給1000円以下のバイトはやらなかったのですが、そのこだわりもちゃんと達成。

あの時の局員の皆さん、バイト先のお兄さんやオジちゃんオバちゃんたちには、大変お世話になりました。

 

上場企業時代→結局は退職する事になるのですが、中学校1年の4月に描いていた希望が叶って上場企業に就職し、憧れのポジションを得る事になります。

そのあと色々ありまして本日に至る訳ですが、このブログでは私の人生体験から以下のテーマを中心に、これから10代を色濃くしたい皆さんへのメッセージを送りたいと思います。

 

  • 勉強は程ほどで良いよ
  • 他人を悲しませない方が良いよ
  • どうせなら慕われる人間になろうよ
  • 下手でも好きなことをしようよ
  • いろんなアンテナをバージョンアップさせようよ
  • 興味のあることを楽しんで良いよ
  • あなたはきっと素晴らしい人なんだよ
  • もっと深く考えると得られるものが大きくなるよ

 

こう言うことをお話していく中で、

ヤケになりそうなあなたが思いとどまってくれたり、

湧き上がってくる不安を落ち着かせることが出来たり、

やりたいことに集中して良いんだと自身を持ってくれたり・・・

そう言うお役に立てたら良いなと思ってます。

 

著者が10~19歳だった当時の時代背景をそのまま記載するので、2020年ごろにそっくりそのまま役に立たない部分もあるかと思いますが、

そこを読み換えてアレンジしたあなたの勝ちと言うことです。都合よく解釈(かいしゃく=あなたの考えで理解すること)をして、周りに迷惑ではなく感動を撒(ま)き散らしてもらえればオッケーですよ。

 

では、少しずつ思い出話も交えながら記事をアップロードしていくので、「希望は持っとけ」と他人を励ませる人間になるヒントをドンドン持って帰ってください。

 

boys be aspiration

少年よ、希望は持っとけ

その通りの未来がやってくるから