希望は持っとけ 10歳を過ぎた君に

男の子が知りたくても誰も教えてくれない事、未来から過去の自分自身とこれを読んでくれるあなたへ

友達の選び方

岩谷時子先生が作詞された曲の世界観は、小学校・中学校を通して私たちの少年時代を穏やかに照らしてくれました。

高校時代を過ぎても、この方の世界観で救われたことは、

一度や二度ではありません。

 

もう亡くなられてしまいましたが、生き様や歌詞にこめられた思いを繰り返し思い出し、少年時代の思い出を大切にしていきます、これからも。

 

ともだちはいいもんだ


~ともだちはいいもんだ~ 歌詞付き

 

別に音楽の授業の話ではありませんが、結局はその話になってしまうかもしれません。

確かに友達は必要ですけど、小学校1年生の頃は本当に友達らしい友達を作れず、周囲をヒヤヒヤさせていました。

だからこそ、友達の選び方については間違えて欲しくないんですよ。

 

一年生になったら って曲で、胸がときめいたんです

通っていた保育園では1クラスがせいぜい20人ぐらい。

3学年あったけどあわせても60人ぐらい。

小さな保育園でした。

 

お遊戯の時間によく、一年生になったらって曲を歌いました。

100人友達が出来るってイメージが良く分からなかったんですが、100人出来たら楽しいんだろうなって思ったんですけど、小学校に入ったらイメージと全然違う。

 

教室、デカイ。

知らない人、いっぱいいる。

やったことないこと、毎日いっぱいやってる。

 

全てにおいてそれまでの価値観とか友達とか、木っ端微塵(こっぱみじん)に砕かれた訳です。

そこから少しずつ友達になっていく訳なんですけど、結局友達の友達が良いかどうかも分からず、とりあえず嗅覚(きゅうかく=においを感じる)だけで何とかしていた気がします。

 

その子の家の臭いが、自分と合っているかどうか。

人間が良くても、家が散らかっていなくても、合わない臭いの家・・・ってやっぱりありますしね。

今となってはかなりいい加減な工事をしていた家か、家族が病気持ちだったんだろうなぁって思っています。

 

10歳ぐらいになってくると人付き合いも決して下手ではなかったので、その時点で何かアドバイスを与える余地も無いんですが・・・

その後に転機もあったのでこれだけは言っておかないといけません。

 

仲が良くなった途端に、駄目な部分が見えてくる

それを改善してくれる相手かどうかが、友達の選び方だ

ってね。

 

助言なのか、嫌味なのか、それとも?

今から言う事は恐らく、2025年以降により意味を増してくると思うことなんですけど、友情と言う概念(がいねん=ものごとの捉え方・考え方)が更に尖って(とがって=ツンツンしてくる・鋭くなってくる)くるようになるはずです。

 

どう言うことか。

 

例えばインターネット一つとっても、友達になってくれる人は多いはずです。

ただその友達にも、あなた自身にも、下手だったり苦手だったり、弱い心の部分があったりします。

あとは教えてもらったけど勘違いして憶えていたりとか。

そう言うときに、注意をしてくれるのが友達の役目でもあるんです。

問題は「何のために注意をするの?」ってこと。

これは少年時代の私自身にもちゃんと伝えなきゃいけないことだと思います。

 

一見すると注意をするってことは、良い事ばかりではありません。

嫌われることもあれば、ケンカになる事もある。

 

これは大人が悩む「人間関係」でも言えることですが、性格や考え方が合う人ばかりじゃないんです。

合わない人が圧倒的に多い。

 

それなのに、性格が合わない人と上手くやらなきゃいけないって言うのは、どうすればいいんでしょうね。

 

と質問したら、少年時代の私なら100%こう言います。

 

 そんなヤツと友達になろうとするだけ、時間の無駄だ!

 

友達には何を言っても良いって訳じゃありませんが、その壁を勝手に壊す奴が居ます。

最終的に中学校時代にそこまで交友関係を拡げなかったんですが、その分岐点になる考えがやはり「注意すること」に対する意識の違いだったんですね。

 

10歳の頃の自分自身に噛み砕いて説明するとなると、ちょっと難しい部分はありますがざっくりと言ってみましょうか。

 

  • 助言
  • 嫌味
  • 指導、しかもオーダーメイド(あなただけにあわせた最良のやり方で指導すると言う事)

 

まず注意をされて、嬉しくなるワケじゃありません。

腹が立ったり、ムカついたりします。

でもそれじゃ、そもそも注意したうちに入らないですよ。

注意する側もヘタクソだし、聞く側だってまだヘタクソなんです。

しかも注意する側は、改善する方法までヘタクソ。

だから、それはむしろ「嫌味(イヤミ)」でしかありません。

友達だからと言って嫌味しか言えない様な人間は、成長もそんなにはしてくれません。何より、嫌味を言う相手の成長を止めます。少なくともアクセルではなく、ブレーキをかけてくれますよ。

 

これが改善する方法が上手かったら別なんです。

「助言(じょげん)」と言うものです。

ただしこれも、嫌味になってしまう可能性を残しています。

友達ならせめて助言をしてくれるレベルが欲しいんですが、助言するレベルでは友達でもない・・・と言う事に少年時代の私自身は気付いていたのです。

 

そう、明確に「コーチング(指導)を、オーダーメイドでしてくれる」のが友達に選ぶ相手なんです。

本来はそれが仕事になり、報酬(ほうしゅう=働いてくれる事に対してお金を払う事)が発生するものなんですが、友達ならせめてそれが上手い人間を選ぼうよって事なんです。

気が付いたら良くない部分や弱い部分がなくなっているのが理想。

それにお金を払うかどうかは、また別の話です。

 

私を指導できなかった、中学校時代のワルな同級生

実は中学校時代の友人の中に、別の小学校だった同級生が何人かいました。

彼らの趣味は私たちとは合わないものが多く、いわゆる見た目は普通でも十分「ワル」な奴らでした。本当に友達になるべきなのか悩んだ時期もありました。

結論からすると、彼らとは必要以上には仲良くならなかったんです。

 

まず、お金が掛かる。

カラオケ行ったりとかするにしても、少ないお小遣いでやりくりしている中では、大量の出費を平気で要求するのです。

それだけ支払って楽しい気分になったり、付き合っていくことで勉強になるなら良いんですけど、そう言うのが一切なかった。

 

それから、趣味が合わなさ過ぎました。

暇をもてあますような地域柄だったのも合わなかったですね。

勉強もせず夜中に集まって、しゃべるだけ、たむろするだけ。

たまにその中のメンバーが、隣の学区域と小競り合いをしてボロ負けしてましたね。

 

そんな彼らに、この夜に集まる時間が勿体無い!って怒った事がありました。

相手にしてみりゃこの無駄な時間が、家庭での居場所が無いだけに大切だったと言う信念があったみたいですが、その時間があるなら私は予習や復習など勉強を進めたかったですし、その当時のテレビでも見ていた方がアンテナが磨かれて良かったですよ。

テレビマンの希望が無くなる様子が、手に取るようにわかった時代でしたしね。

 

だから学校内では力を合わせたり助け合ったりすることはあっても、プライベートでは足手まといになるとしか考えられませんでしたよ。

 

後日談ですが、中学校の近くでボヤがあったんです。

第一発見者になったのはワルな同級生だったんですが「放火したんじゃないかって、警察からずっと疑われた。Tako、警察って酷いよな」と文句を言ってました。

制度の問題ではなく『そらそうだろうよ、放火したと思われる要素をお前は一切棄てようとしなかっただろ?』と言いましたよ。

こう言う事態にあって、始めて痛感するようじゃ遅いんだって。

それでケンカにもなりましたが『疑われない領域(ゾーン)に早くくれば良いだけなんだよ、そのためには・・・

・タバコを吸わない、ライターを持ち歩かない

・用も無いのに夕方以降の公園でたむろしない

・どうせ会うならせめて一緒に筋トレするとか、何か目的を持てよ』

と言った訳です。

どうも隣の小学校ではヤンチャ=男の勲章って言う雰囲気が強かったんですが、男らしいのは他の皆も認めてるのに、なんでタバコを吸う必要があるのか?って言うところに明確な答えを出せないで居るんですよね。

だったら『補導されてろよ、バカ』ってなりますし、いつでも『アイツとアイツはタバコ吸ってます』って言えるカードを持つことになってしまいました。

 

カードを使う場面が殆どこなかったのはせめてもの救いだったのかもしれませんし、タバコを吸うことが決して得策では無い&私の友達との縁も切れると言う事に気付けただけ良かったと思います。

同じ小学校から進んだ人の中で、私が仕入れたそう言う情報ってかなり貴重だったみたいです。理由は後述しますね、

 

・・・とまぁ、中学校でタバコを吸うってどうかしてんな、こいつ等は・・・って思いましたよ。

それで勉強が出来たりスポーツが上手く行くんならドンドンやれよって思いましたけど、実際には勉強も全然ダメで、スポーツも結構上手いはずなのに結果が出ないってところから抜け出せませんでしたからね。

 

彼らの世界観を理解するには、彼らが私を「正しく指導する」しかなかったんですが、タバコを吸って出来ない仲間同士でつるむ事を、どう指導するんだって話ですよ。

幸いな事に彼らに対する『いつでもチクれる』ってカードだけ持って、言う事を聞いてもらうと言う事には成功したので、それだけ適えば中学校時代では不自由がありませんでした。

 

音楽の根本先生、暁子先生、お元気ですか

中学校の音楽授業を担当してくれた暁子先生は、指導要領(しどうようりょう=先生が教えなくてはいけない教科の約束事)の大半を終わらせて、中学校を卒業する間近の私たちを指導するにあたり、このように言ってくれました。

丁度その年から卒業式で3年生が歌う曲が「旅立ちの日に」が採用された年でもありました。

一個上・二個上の学年は、音楽で何をやらせても上手かった。

合唱でも、吹奏楽でも。

そう言う先輩の後ろを追いかけていて、抜いたという感覚はなかったのですが、いつの間に追い抜いていたことを教えてくれた、たった一人の存在でした。

 

「私は、あなたたちの真剣な取り組みに感謝してます。

だからこそ、卒業まで僅かな期間で、合唱祭の課題曲をどうやって行こうか。

悩んでいます。

下の二年生や一年生と比較したくは無いんですが、あまりにも上手で、レベルが違いすぎて、

それこそ先輩方より皆さんの方が、遥かに上手かったんです。

正直、皆さんを指導するのが楽しくて仕方ないんです。

 

そんな皆さんに、簡単な合唱曲は歌わせたくないんです・・・。

だからと言って、難しい曲を満足行くまでに練習するだけの時間もありません。

受験を控える皆さんの負担にはなりたくありませんから・・・」

 

先生の思いを受け止めて私たちは答えました。

 

 妥協せずに難しい曲をぶつけて下さい。

 

私もその中で思いを伝えました。

 『あれだけの先輩を超えられたのであれば、先輩達への恩返しをするために難しい曲へ挑戦したい。

 その姿勢を後輩に見せておきたいです。

 それがこの中学校の伝統となるならば、この時期の苦労は望んで受けます』

 

みんなの思いと先生の考えは一致し、当時使用していた歌集にはなかった曲を引っ張ってきていただくことになりました。

練習時間が少ないから仕方なかったんですけど、私たちはこれまでやってきた曲を焼き直しすれば、それだけでも十分だったんですけどね。


【合唱曲】流れゆく雲を見つめて / 歌詞付き

 

学年全体がそんな間柄だったので、誰であっても足を引っ張る行動は許せなかったんですよね。仮に同級生でも、友達だとしても。

 

なんで音楽の合唱の話しがチョイチョイ出てくるのかと言うと、10歳の頃は小学校の音楽課の名物先生・根本先生の転任や別れと重なるからなんですね。

 

授業の最後はこの曲「クッデーグッバイ」を歌ってクールダウンするのが根本先生のやり方だったんですが、小学校4年生の最後の音楽授業の時、その時どことなく寂しそうな音色と表情で、これで終わってしまうんじゃないかと嫌な予感がしたものです。

 

演奏が終わって「みんな、5年生になっても音楽を楽しんでね」とやさしく声を掛けてもらいました。

いやいや、5年生になった時の音楽は地獄でしたよ。根本先生がいないこと以上に悲壮感ありましたもの。

6年生(一学年上)が行う鼓笛隊の演奏は圧巻の一言。上手すぎるし迫力あるし、それと比べたら私たちの学年は・・・ショボい。

音を大きく打ち鳴らす方法や経験だけが圧倒的に足りてなかったんです。

 

結果としては慣れと練習回数がなんとかしてくれたんですけど、そこに行くまでが不安と実力の無さでケチョンケチョンにされたのを今でも思い出します。

この頃に管楽器をもう少し入れようって動きが出ます。

私たちはその潮目にいたんですよね。

私も管楽器を扱う予定だったんですけど・・・これは他の回で登場したNさんに横から奪われてしまうんですよね。怒り狂ったのを覚えてますよ、今でも。

 

でも、これがNさんだったから良かった。

最後まで気を引き締めてないと、何が起きるか分からないと言うのが良い経験になりました。

(後日談でNさんに確認したところ、好きだった私と一緒に練習できると思って始めたのに、一緒に練習は出来ずに奪い取ってしまったとのこと。

Nさん、だから、小1の頃からそう言うところ余計なんだってば!)

※ちなみにやっている曲は違いますが、20年以上後の後輩が地元でパレードしているんですね。さすがYoutube、何でもあるな!(笑)

 

さて話はもどりますが、だからタイムマシンで戻るなら根本先生の授業は心の底から楽しんでおいてくれと釘を刺したいんですよね。

まぁ、そんなことをしなくてもTakowasabi少年はその時代、根本先生の授業は楽しい時間でしたし、音楽っていいもんだなぁという感性を十二分に育てていただいたように思います。

そのタネが前述の暁子先生によって、中学時代に花が開いたと信じてますし。


グッデーグッバイ/伊藤良一作詞 Good day Goodbye ピアノ演奏

 

今聞いてもサビの部分、良い歌詞だなぁ。

Good day,Good bye,

Good day,Good bye,my friend.

 

友達とは、良い日に、良いbyeをしようと。

良い日を壊すのは、何も良い事は無いと。

 

根本先生が歌わせてくれた「やさしい心 ありがとう」は、

いろんな人との出会いに今でも役に立っています。

暁子先生の言葉・思いは今でも心の支えになっています。

 

助言と指導を分かつ経験もありました

タバコを吸う同級生とは深い友達付き合いをしなかったことで、カードを持った私もさすがにカードを切らなきゃいけないのかと思う場面はありました。

ただ、思いもよらない展開でしたけどね。

 

生徒会の役員が渋い表情で、相談を持ちかけてくるんです。

小学校も同じだったら、ツーカーとまでは言わないですけど達ちゃんと言う生徒会役員が悩んでいるならってことで。

どうも一人だけ、自分本位な考えで予算を増額させたい委員会がある、と。

しかもテコでも動かないんだよなぁ・・・。

 

あー、ヤマダ委員長かぁ・・・。

『じゃあネタもあるから、話してくるわ。ひとまず承認のサインもらっておけばいいかかなぁ、達ちゃん?』

 

タバコを吸う同級生のことを好いていたヤマダ委員長。

あまり普段から接点があるわけじゃないんだけど、図書委員長としてはヤマダ委員長が図書室のヘビーユーザーだったことは良く知っていたので、部活を抜け出して図書室へ。

居たよ、ヤマダ委員長。

早速直談判。

『ヤマダさん。あなたの××委員会の増額予算、ウチ(私の図書委員会)らに回してくれない?』って言ってみますが、はぁ?って表情です。

そりゃそうだよなぁ。

 

大事な総会前の打ち合わせですが、ここは

『じゃあ、タバコ吸ってるの、先生にチクるしかないか。アナタの好きな、○○君のこと。

○○君にはあなたがそんな馬鹿な考えを改めないから、密告されたって言うしかないよ』って強気に出る場面でだけ、カードは役に立ちましたね。

実際には私の委員会じゃなくて、本当に予算が必要になっている部門に回したかったんですけど、ネックになっていた委員長があまり話がわかる人じゃなかった&なぜかタバコ吸ってるバカと付き合ってたんで、これはもう鴨がネギしょってるようなもんでしたよ。

仕方ありません。生徒会の言う事聞いてくれれば皆が笑顔になれるって話なのに。

 

その女性の委員長にしてみりゃ、なんで接点が殆ど無いはずのTakowasabiが知ってるんだ?って話でしょうけど、知っている上に悩んでいるのが生徒会副会長の達っちゃんなんだよ。

小学校の同級生でクラスが一緒だったこともある(フネ先生のクラスね)んだから、そりゃあ、戦友の頼みは断れませんって。

 

『で?どうするの?

まだ意地張るの?

意地張っても○○君に迷惑掛けるだけなんだよ?

第一この予算に関する話、○○君だって生徒会側の予算案が絶対良いじゃんって、賛同してくれるんだよ?

あなたが反対する理由って何?

増額しなくても前年度予算は同額確保されてるんだよ?』

と続けざまに質問して、納得していただきました。

 

あとでこのヤマダ委員長が私とは別の小学校だったので、小学校時代にどれだけの存在だったのか。生徒会の副会長である達ちゃんとはどう言う関係なのかも知るのでしたけどね・・・。

私の両親はPTAの有力どころと繋がっていましたから、親御さんの中では私の知りえた事はほぼリアルタイムに知られていたんですよ。

誰が暴走族と繋がってるかとか、誰がどこの器物損壊に関わっていたのかとか、タバコ吸って居るのが誰なのかも。

地域全体で足枷(あしかせ)とかを付けられてるんだから、少なくとも私を敵に回して変なことは出来ないってことですよ。

しかも親にバレたくない事も、すでに親や地域の偉い人にはちゃんとバレてるって言うのも独特でした。

その事に気づいてないのは子供だけって、普通は「子供の悪事の徴候を親が分からなかった」だから、逆なんですけどね。

 

ヤマダ委員長も私利私欲で動いていた訳じゃなく、結局のところは先輩から脅されてたのが大きかっただけなので、そこらへんもアフターフォローはしました。

『先輩、いくらなんでも卒業したんですから、マイナスになることは口出さないで下さいよー』ってね。 

 

そんな私が中学校を卒業した後、体育祭にお邪魔したらテント内の実行委員の仕事がなってなくて、急遽指導に回るハメに。

知っている先生から「Tako、部外者はそこまでやんなくて良いwww」とは言われましたが、これが暁子先生が嘆いていた差なのか・・・と痛感したものです。

実行委員は中2までかなり仕事できてたはずなんだけどなぁ、中3になったらこんなにもダメになるのか?って。

気が付けばアチコチで高校生のはずの同級生がお邪魔してるだけじゃなくて、後輩を指導してました。あらあら、これは酷いわ(笑)ってレベルの仕事がそこかしこに。

当時の中3(つまり一学年下)のアタマの回転速度は相当なものだったんですけど、イメージするとかイチからデザインするってことが本当に下手だったんですね。

これは関わった先生の違いもあるけど、ずいぶん私たちの学年に頼られて居たんだなぁと実感しました。私たちがヒントや指示で着火したから考えたり動けて居たのか、と。

 

友達には、求めるハードルを高くしよう

確かに友達って居れば助かることもあります。

ただ、中には友達だからと言う理由だけでエネルギーは勿論、時間とか知識とか見えない財産まで吸い尽くすような人も居ます。

私だってそう言った面が全く無い訳じゃありません。

 

だからこそ友達に求めるものを下げてはいけませんし、付き合う相手は選んで良いんだよと、10歳の頃の自分自身には再確認しておきたいですね。

 

もちろん中学校時代の自分自身にも、「遊ぶ事は仲良くなれなかったとしても、上手~く付き合えばいいんだからね」と声を掛けておきたいですね。

 

どうせ持つなら、あなた自身の考え方を分かりやすく知らず知らずのうちに誘導してくれて、正しく理解させてくれる人物を友達にしましょうよ。

もちろん、騙す事だけに特化した人間なんて、友達にする必要はありませんよ。

当然ですけどね。

(むしろ上手く騙す人って、誘導が中途半端に上手いですよねぇ。

詰めが甘くてコーチングが未熟だって感じさせる人も多いはずです。)

 

 

boys be aspiration

少年よ、希望は持っとけ

その通りの未来がやってくるから